卓話の時間(7月15日)

日付 2021/07/15
卓話者

平岩禎一郎会員

改めまして自己紹介させて頂きます。
実は在籍33年ですが出席免除の関係で、親睦委員会のメンバーとは初対面の感じでありますので、ましてや夜の例会には欠席が多く
て顔と名前が一致しません。そこで簡単に在籍経歴を申し上げますと入会が昭和63年4月で紹介者は、当時うみたまごの常務をされていました名誉会員の二宮吉男さんです。会長就任は2000年~2001年で市内8クラブのガバナー補佐が2006年~2007年が主だった経歴であり、名誉会員を除いて岩崎会員に続いて2番目の古手株です。如何かこの機を通じてお見知りおきください。
さて、今年度の瀬口会長のスローガンは温故知新であり、私にとって極めて懐かしい言葉でありました。
コロナ禍にあって我々が向かうべき方向については色々な考え方があると思いますが、古きを訪ねて新しきを識る事は、オーバーな表現かもしれませんが我々が先祖及び先輩の方々の足跡を今一度検証し、その功績を再度評価する事ではないでしょうか。
当クラブは来年創立60周年を迎えるのでありますが、私がこの際申し上げたい人がいます。
それは、1993年~1994年に2720地区ガバナーに就任した当東ロータリークラブから選出された田北豊さんです。
すでにお亡くなりになられていますのでご存じの方は少ないと思いますが、本社は市内錦町にあります大分製紙株式会社の創業者で、現在4つの会社をお持ちになり、後継者の方に引き継がれていますが、トイレットペーパーの九州エリア占有率70パーセントの立派な会社を堅持しています。
話せば長い話になりますので、掻い摘んで申し上げますとガバナーの方針は環境汚染対策がキーポイントでして、とりわけ水質汚染で熊本の窒素水俣病により多くの患者が生まれた事が社会問題となりました。
その様な課題を大きく取り上げ、水質浄化運動に熱心に取り組まれ、大分・熊本両県にホタルの里推進協議会を立ち上げました。
余談ではありますが、活動費として当クラブからほたるの里推進協議会に220万円寄贈しました。その財源の大半は田北豊さんの私費で賄ったと思います。
更には財源の事を申し上げて申し訳ありませんが、6年間に亘って毎年100万以上の浄財をほたるの里推進協議会に私費で寄付しました。
この寄付に当たっては他言を無用と厳しく言われまして、今日に至るまでその言葉が今でも強烈に心に深く残っている次第です。
周年行事に当たって是非この陰徳を顕彰しては如何かと思います。また、この協議会を作るに当たって由布院市内に建てられた立派な石碑も朽ちることなく存在してます。正にこの教訓は大河ドラマにある渋沢栄一公そのものではないでしょうか。
改めまして60周年を迎えるに当たり、田北様の素晴らしい足跡を紹介させて頂きました。

 


角山光邦会員

私の会社、株式会社角山商店は今年10月で創業100年をむかえます。酒類の卸、小売業としてやって参りましたが、今では斜陽産業となりましたので余り自慢にはなりません
が、大分の人々のご愛顧のお陰でここまでやって来ることができました。

今から100年前の大正10年、「九州・沖縄八県連合共進会」がここ大分市、青い砂浜の広がる新川をメイン会場として開かれました。

産業振興をテーマに、多い日は2万人の来場者があったと言います。全国各地の名産、特産品の展示即売場も設けられました。そこに私の祖父が広島の酒を携えて参加しました。広島は灘、伏見に次ぐ酒どころとして有名でした。予想以上の好評で、祖父は大分で酒屋をやることに決め、祖母と乳飲み子の私の叔父をつれ大分に出てきました。

西大分の別大国道の海岸線に入った場所に小さな店を構えたのが始まりです。そばには大分市最大の紅灯の巷「かんたん遊廓」があり、最盛期には200人以上の女性がいたそうです。西大分港は七島いの積み出し港として全国から人が集まり大いに賑わっており、広島の酒が良く売れたそうです。その後商売拡張の為王子町に移転しました。昭和5年には現在の生石に移転、戦時中はビールなどの配給所を務めました。また昭和19年叔父である長男が戦死し、次男の私の父が後継者となりました。

昭和22年臼杵市に寿屋(現在サントリー)の大分工場が出来、トリスウイスキーが家庭用に配給されました。アメリカの進駐軍に洋酒やビールを納入していました。昭和25年卸売免許を取得、キリン、サッポロ、サントリーの特約店となります。また、県産酒の「八鹿」、「西の関」、「倉光」さんにも大変お世話になりました。昭和31年我が社にとって大事件が起こり、熊本国税局の査察を受けました。角山は潰れるという噂が立ちましたが、大分銀行さんにバックアップして頂き難を逃れました。お陰で翌年、資本金200万円で株式会社設立、併せて現在の場所に鉄筋コンクリート2階建ての新社屋を建てました。当時はビルがほとんどなく、屋上からトキハデパートがよく見えた事を覚えています。

昭和42年祖父の死去に伴い、父が社長就任。父は大分東ロータリークラブの会員として大変お世話になりました。昭和52年手狭になった西大分から、本社を萩原に移転しました。土地は安藤会員の父上で東ロータリークラブの会員であった、安藤一郎先輩から紹介され、建物は川崎会員の佐伯建設にお願いしました。

平成3年私が三代目社長に就任。平成5、6年の頃が、売上、社員数ともピークを迎えましたが、その後規制緩和の煽りを受け、得意先の酒販店の廃業が始まりました。平成16年地域卸の役割が終えたことを確信して、福岡の食品、酒類大手のヤマエ久野と「株式会社カクヤマ」設立。卸売免許と社員を新会社に移し、角山商店は小売業として西大分に本社を戻しました。

平成29年私の長男に社長を譲り、会長になりました。祖父や祖母の苦労や努力はもちろんですが、多くの人に助けられて何とかここまでやって来れました。これからは酒だけに拘らず、会社の存続と地域への貢献を目指して新たな一歩を踏み出したいと思います。