会長の時間(平成30年11月8日)

日付
平成30年11月8日
会長
山本 輝彦

今日は南極観測船『宗谷』と南極観測のお話をしたいと思います。

62年前の1956年(昭和31年)の今日11月8日は、南極観測船『宗谷』により、日本初の南極観測隊が南極に向け東京港を出航した日です。

観測船宗谷は、もともと南極観測船として造られたものでなく、ソビエト連邦より第二次世界大戦 前に、氷が浮いている海でも貨物輸送が出来る『耐氷型貨物船』としての発注により作られましたが、ソ連に引き渡されずに日本海軍に買収され特務艦として太平洋戦争に従事、戦後は紆余曲折を経て海上保安庁に編入され当初は灯台補給船として活躍していたものでした。

宗谷はそういう事で、数奇な運命をたどった日本の砕氷船で、1956年から1962年まで初代南極観測船を務め、日本の南極観測事業の礎を築いたと船と言われています。

南極観測は、未知の世界だった南極大陸を各国が協力し観測・調査をすることが大きな目的になっていました。

第二次世界大戦が終わって10年、敗戦国日本がようやく国際社会に復帰を始めた頃でした。主食の米も十分でなかったこの時代に、日本の関係者はこの国際共同観測の大事業に参加する事を決めたのです。

日本が基地を設けるために割りあてられた大陸沿岸域は人跡未踏の地でした。何もかもが手探りの状態で第1次南極観測隊は出発したのです。大変な苦難の航海の中、東京港を出航して82日後の1957年1月29日に南極に上陸した観測隊は、基地を「昭和基地」と命名し、2月14日には11名の第1次越冬隊が組まれたとの事です。

この海域の氷の状態は砕氷能力の弱い「宗谷」にとっての航海は大変厳しく、その後、第2次越冬隊員を乗せた宗谷は南極付近に到達しましたが、再三の突入でも昭和基地まで到達できず第2次観測隊は越冬を断念しました。この時やむなく基地に鎖で繋がれて残された15頭の樺太犬の内タロ、ジロ兄弟の2頭だけが奇跡的に生き延びて、第3次観測隊隊員たちと再会出来ました。タロ、ジロの感動的な出来事はその後映画化され、1983年(昭和58年)に第1次・第3次観測隊役、高倉健さん、同じく渡瀬恒彦さん、宗谷の船長役で山村聡さん、第2次越冬隊役で基地に残してきた犬の世話役の佐藤浩一さん、江藤潤さん。それに夏目雅子さん、荻野目慶子さん等のキャストで『南極物語』として全国で放映されました。当時の歴代映画興行の記録を大きく塗り替えた感動作となりました。3年数か月の撮影期間を掛けた大作でした。私は先日30数年ぶりにユーチューブで『南極物語』を見ました。2時間23分の感動作で涙なしには見られませんでした。

チャンスが有ればもう一度大型スクリーンで見たいと思います。

皆さんも良かったら大きなタオルを準備してご覧になられては如何でしょうか!

以上で会長の時間を終わります。