わたしがアイドルから弁護士になるまで

日付 2017/03/16
卓話者 平松法律事務所 所長 平松まゆき様

1 幼少期
子供の頃は、自分でいうのもなんですが、大変おりこうさんで、勉強が大好きでした。親から勉強しろを言われた記憶はありません。
2 中学生時代
12歳のときに挑戦した東鳩製菓のオーディションで、奇跡的にグランプリを受賞しました。それからの1年間は、週末に上京してはCM等の仕事をするという生活を送りました。
3 高校生時代
15歳のときに、ようやく両親の許可が下り、単身で上京しました。デビュー曲は「世界ふしぎ発見!」のテーマソングになりました。学校にはあまり通えませんでしたが、ただただ仕事が楽しいちゃらんぽらんな高校生でした。
4 予備校時代
しかし19歳になって急に不安が襲いました。大学に行かなくていいのか、そう思って、事務所に受験の許可をもらいましが、仕事をしながら、高校3年間分の勉強を取り戻さなくてはいけない状況で、なおかつ、思い立った時点で受験まで5か月足らずでした。当時の偏差値は38 !無理だと言われましたが、結果として志望校にはすべて合格できました。
5 大学・大学院生時代
大学では、いわゆるモラトリアムで、親に勉強するためと噓をついて大学院まで通わせてもらった、とんだドラ娘でした。
6 OLを経て
その後、都内でOLをするのですが、ここで再び、「これまで自分は好きなことだけを選び、大して努力をせず生きてきた。」という不安が襲いました。そこで、自分に試練を与えるという意味で、一番難しい司法試験を決意しました。同時に、司法試験がどれだけ過酷なのかをよく知らずに、簡単に手を出してしまったというのも事実です。
7 法科大学院から受験まで
法科大学院では、私のような他学部出身者と法学部出身者が机を並べ、同じ試験を受けるので非常に苦労し、何度か単位を落としました。かろうじて卒業できましたが、1度目の司法試験には、到底間に合わない感覚でした。
司法試験は5日間、朝9時から夕方6時くらいまで論文を書き続けるので腱鞘炎との戦いです。私も右手の感覚を失い、何度も机に手を叩きつけて感覚を戻しました。また顔中に蕁麻疹が出たり、恐怖から、ホテルで大声で泣いたりしました。
その後、なんとか3度目で合格を頂きました。
8 司法修習を経て現在
1年間の司法修習後、大分で開業しました。現在の夢は、これだけは負けないという得意分野を増やして、故郷大分に恩返しをすることです。
ご清聴ありがとうございました。