大分県歴史文化

日付 平成27年11月5日
会長 小嶋 一範

我々は、大分県に住み、営みを行っています。私自身も52年間、大分で生まれ大分で育った訳でありますが、県外にて「大分」の特色を説明しようにも上手く説明出来ない現状です。大分東ロータリークラブには県外出身会員も数多く在籍しておりますので、三部作で大分歴史文化シリーズとして披露していきたいと思います。

第1部は大分の由来と風土編です。まず大分の地名の由来でありますが、「風土記」によりますと、景行天皇が「広大なる哉、此の郡は碩田国(おおきたのくに)と名づくべし」と仰せられた事が由来であると言われています。碩は立派という意味があるのらしいのですが、実際の大分の地形は広大ではなく、棚田が連なる「多い田」と解釈すべきだという説が有力であると言われています。

そして1871年(明治4年)に大分県となりました。

また気候や地形も多様性を持ち、南東部は温暖多雨の南海型気候で、亜熱帯の植物も自生しています。西部と中南部の山地には山地型気候で、冬には厳しい寒さが押し寄せます。

北部は冬に降水日数が多い日本海型に準ずる気候で、瀬戸内海に面する地域は、温暖で降水量が少ない瀬戸内海型気候、また豊後水道に面している南部は、太平洋型気候であると分析されています。この様に多様な気候は多様の風土をもたらし、ほんのちょっと移動しただけで、産物も気質も多様性を持っているとの事です。

さらに、地下には3つの構造線が走り、土壌の違いは作物の多様性をもたらしています。

そして、江戸時代には、藩が8つ、他国領が3つ、旗本領が5つ、そして幕府領と宇佐神宮領などの合計18の領地に分けられました。数キロ離れるだけで全く違う風土気候が展開され、藩が違えば国が違うほど、気候風土また伝統文化から人々の気質まで、で、大分の文化は百花繚乱と展開されたのでした。