警備業の歴史(欧米編・日本編)

日付 平成27年10月8日
会長 小嶋 一範

西欧では200年以上も前から探偵業が営まれていました。当初は個人の素行調査や企業の信用調査などの業務を行っていましたが、経済や産業の発達に伴って国内の治安情勢も悪化して個人や企業の安全を国民自らの手で守る必要が生じてきました。
このような社会のニーズに応えるかたちで、より専門的に、より組織的に改善が加えられ現在の警備業としての形を整えていきました。
西部開拓時代のアメリカにおいては、開拓村の治安を維持するために保安官制度が生まれました。当時鉄道が無かったために必要とされていた駅馬車、家族の移住のための幌馬車隊や牛などの家畜を東海岸から西海岸まで移送する作業などは、常にインディアンやアウトローからの脅威にさらされていました。
それらの脅威から身を守るため、ピンカートン社という世界初の警備会社が誕生し、現在のアメリカにおける警備業の礎を創り出すこととなりました。
アメリカの警備業を飛躍的に発展させる契機となったのは、第二次世界大戦であったと言われています。戦争に必要な兵器の研究や開発、製造、輸送などに多くの民間企業が動員されましたが、軍事上の重要拠点を警備するための軍の組織や人員が大量に不足する事態が生じました。
そのため、国防省によって、民間セキュリティの理論と実践に関する研究が進められ、当時の警備業者を指導、教育し、軍事関係施設の警備業務を警備業者に委託したことにより、警備業が質、量ともに大きく改革されることになりました。

一方、日本の江戸時代には「口入れ屋」と称する人入れ稼業が存在していました。この稼業は、人手を必要としている者に、自分の支配下にある人夫などを提供し、賃金の一部を搾取することによって利益を得ていたといいます。
人手を必要とする仕事とは、田畑の耕作や商家の奉公人、家事手伝いなどあらゆる職種に及んでおり、ときには浪人を用心棒として送り込むこともあったと言われ、その意味では警備業の草分けとも言える稼業であったと言われています。
明治になるまで鎖国を続け、明治維新後も島国という隔離された環境にあったことも手伝って、日本では「水と安全はタダである」といわれるほど治安水準は高かったのですが、第二次世界大戦後、政治的にも経済的にも世界との交流を深めることとなり、国内の治安情勢も欧米の影響を受けるようになってきました。
アメリカ軍が進駐してきた際、日本のビルを強制的に借り上げ、日本統治の拠点としたことから、そのビルに関する警備が必要となり、多数の日本人がガードとして雇用されることによって、日本における実質的な自主警備が始まることになりました。
国内で警備を業とする企業が誕生したのは昭和37年のことであります。当時は警備業という業種が周囲から十分に理解されず、特に民間企業から受注する場合には、単に日直や宿直の業務を代行することから始まり、折からの高度経済成長の時流にも乗り、徐々にその規模を拡大していきました。
日本の警備業を飛躍的に発展させる契機となったのは、昭和39年の東京オリンピックや昭和45年の大阪万国博覧会であったと言われています。昭和37年に誕生した警備業は、その後社会の需要に支えられ、爆発的に成長することになり、日直や宿直の代行業務から始まった業務内容も次第に高度化更に専門化し、現在では警備員数が全国の警察職員の数をはるかに超える規模にまで成長しました。