大友家400年の歴史を共に考えましょう

日付 2015/04/09
卓話者 平岩禎一郎会員

本日は大友家400年をともに考えましょうと申し上げましたが、400年を説明するにはあまりにも難解で硬すぎますので、タイトルを大友家および大友宗麟を中心に変えさせて頂きます。
大友氏の400年の歴史について若干触れさせて頂きますが、初代豊後の守護に能直公が任用されますが、(神奈川県小田原市大友町の生まれ)以来22代に亘って源平時代、南北朝時代、室町時代、戦国時代を生き抜き、しかも鎌倉幕府、南北朝朝廷、室町幕府と密接な関係を保持し改易されることなく生き様は現代の我々には想像できない事ではないでしょうか。
大友家は名門中の名門であると言われています。さて大友家の代表的な人物は何と言っても大友宗麟に尽きると思いますのでザーと紹介させて下さい。
宗麟は、戦国時代まっただ中の1530年に豊後府内で大友家の長男として生まれました。天下をねらった織田信長や豊臣秀吉と同年輩であり、早くから信長の実力を見抜き、献上品を差し上げ、又足利将軍とも貿易で得た財源を元に、九州北部六カ国を支配する大名になります。
又その時代(戦国大名が天下統一を目指していたころ)宗麟はアジア、そしてヨーロッパとの交流を目指します。そこが大友宗麟の時代を見据えた、先見性と発想の違いがあると思います。
21歳になった時、山口にいたザビエルを府内に招き、キリスト教を布教させる代わりにポルトガルとの南蛮貿易を積極的に推し進めた様です。
その南蛮貿易等で得た収益で府内の街は栄え、人口は8千人、40余の街があり、貿易都市として知られた大阪の堺とほぼ同じ、福岡の博多より大きな町であったと言われています。日本に5年間滞在した宣教師フロイスは宗麟の事を考えが深く人徳があり、あらゆる才能に優れた人であると本国に報告してます。
又この時代において医師のアルメイダとの出会いによって育児院で孤児を救い、日本初の外科手術、病人やけが人を無料で助ける府内病院を作り、京都や大阪まで噂が広がったようです。正に日本初のボランティアの始まりと思います。
このような姿を豊後王としてヨーロッパに報告し、宗麟たちの名前でヨーロッパに送られた少年使節団が各地で大歓迎を受け、宗麟の名前はますます知られるようになったようです。しかしながら栄枯盛衰は世の常でありまして、宗麟公は33歳で府内から臼杵の丹生島城に移ります。
その頃北部九州では最大の貿易港博多の権益をめぐって山口の毛利軍と戦い、勝利するものの、内憂外患が高じキリスト教をめぐる家臣団の対立により統治体制が乱れ、後に島津軍との日向合戦によって大敗を喫し一気に衰退の道を辿っていく。
こののち秀吉が九州平定に乗り出し、島津氏は降伏し家督は宗麟から息子の義統に継がれましたが朝鮮出兵の際の不手際で1593年改易され豊後大友氏400年の幕は閉じる事となった。
1587年宗麟が没して1ヶ月後、秀吉は最初のキリシタン禁教令を下し、更に徳川時代に入ると、キリシタンは厳しい迫害の歴史を迎える。
ここで申し上げたいのは今日ここ豊後で栄光栄華を極めた大変著名な大友氏及び大友宗麟が歴史上の人物として殆んど話題とされなかったのが不思議に思う次第です。
シンポジウムの席でも非常に話題になる処ですが、識者の方々の意見を要約すれば

1)大分県は国東半島を中心に仏教文化が栄えた地域で、異教徒は排除される宿命にある。徳川幕府の禁教令によって265年間キリシタン大名としての大友家は埋没せざるを得なかった。
2)宗麟の負の遺産(二階崩れの変、女たらしでえげつない)を誇張され、定説に反論する人がいなかった。
3)今日の小中学生に学校で小さい時から教える機会を考えなかった事
など考えられるとのことです。
4)各県に行くと、鹿児島の西郷隆盛とか、高知の坂本竜馬とか、おらが国の英雄を大人から子供まで誇りを持っている。

結論から申し上げますが、東九州自動車道がほぼ全開通し、大分駅が高層ビル化し大分県立美術館が開設し、大分市中心市街地が大きく変わるに付け、大分の顔をはっきり意識付け魅力造りに真剣に取り組まなければならないと思います。
其の一番手として大友家および宗麟公をアピールしてみては如何と思いましてお話させて頂きました。
幸い冒頭に申し上げましたように駅前に宗麟公とザビエルと450年前に出会った九州を豊後国と名乗った地図を前に凜として佇んでいます。
尚、府内城と大友氏の関係ですが、大友義統が1593年に朝鮮出兵に際し秀吉の勘気に触れ改易された後、築城されたお城ですので、全く関係はなく、豊後を治めた早川氏に続き、府内に入った福原直高により築城され、その後竹中重利により、現在の府内城が出来たとのことです。
大分市誕生100年を記念して、豊後府内城を再現しようとの活動があります。市内の魅力造りには多面的な取り組みが非常に大切ではないかと信じています。