運命と立命

日付 平成27年1月22日
会長 由見 真治朗

今日は運命と立命の話をさせていただきます。運命とは、人生は天の命によって支配されているという思想に基づき「人間の意志に関係なく、身の上にめぐってくる吉凶禍福。それをもたらす人間の力を超えた作用」と考えられていますが、人は生まれてから死ぬまで、全ての運命が決まっているのでしょうか。

本田光曠パストガバナーの発刊した冊子「言霊」の「幸せになる秘訣は…」の一節に「善きことを思い、善きことをすれば、必ず人生によい結果が生まれます」とあります。この一節について、中国の明の時代に在世した袁了凡の「陰騭録」の話をしたいと思います。「陰騭録」とは、幼い頃に父親を亡くし、母親と二人暮らしの生活をしていた袁了凡が少年時代の体験を書き記した書物です。中国の科挙の試験を受け、出世したいと思っていた袁了凡ですが、家も貧しく、また代々医者の家系であるからと医学を学んでいました。その少年だった袁了凡が、一人の老翁に出会ったことから物語は始まります。頬髯の長い仙人のような偉大な風貌である老翁の名は孔といい、南西部の雲南から易学の理法を伝えるため、遠路はるばる袁了凡を訪ねて来たと言います。「お前は高級官吏になる人間である。何故、科挙の勉強をしないのか」と尋ねられた袁了凡は、家の事情で医者を目指すことを伝え、色々な運命を占ってもらうことにしました。すると、その占いは悉く当たったため、科挙の受験勉強をする気になります。更に「進士を受けるための予備試験である童試で県試は14番、府試は71番、院試は9番で合格し、本試験である進士にも合格して四川省の大きな地方の長官に選ばれるが、3年半で辞表を提出し故郷へ帰り、53歳の8月14日、丑の刻に自宅の表座敷で息を引き取る。惜しいことに生涯子供が出来ない」と占う孔の言葉を信じ、袁了凡は次第に宿命観に捕えられてしまいます。

孔に占ってもらってからというもの、高級官吏の道を目指す袁了凡は占い通りの人生を歩むことになります。科挙の試験を受ければ、県試、府試、院試と全ていん しつ ろく何番目に合格するかがピタリと的中し、袁了凡は、「人は進むも退くもちゃんと運命が定まっておるのだ。いくらやきもきしても、なるようにしかならないのだ」と堅く信じるようになりました。そこで、袁了凡は「孔という老翁の占いが悉く的中しかし、ある時、棲霞山の雲谷禅師を訪ねたことから袁了凡の考えも一変します。三昼夜、心を鎮めて座禅を組む袁了凡を見た雲谷禅師は驚いて尋ねました。「お前さんと対坐すること三日、一つの妄念も起こしたのを見ないのはいかなるわけか」

そこで、袁了凡は「孔という老翁の占いが悉く的中し、それからは人間には皆、定まった運命があるのだと信じるようになった。だから起こす妄想もありません」と告白しました。それを聞いた雲谷禅師は、「お前さんは随分偉い人物だと思っておったが、ただの凡人ではないか」と言いすっかり軽蔑してしまいます。袁了凡はその訳を尋ねると、雲谷禅師は「運命というものはあるが、決してそれは定まったものではなく常に変化する。今よりお前さんが徳を拡充し、力めて善事を行い、多くの陰徳を積んでゆけば必ずそれだけの福が実現するのである」と言いました。それを聞いた袁了凡は、善事三千条を実行し、天地祖宗の徳に報いることを誓い、善事と悪事をプラスとマイナスで表示する功過格という道徳律で毎日記載したところ、それからの人生は、孔の占いとは全く違うものになりました。童試に合格した後、貢試では3番目に合格すると言われていたのが1番で合格し、孔の占いは外れてしまいます。その後、科挙の本試験である進士の試験にも合格し、河北省の知事に命じられました。そして、「残念ながら子供は出来ないと言われ諦めていたがお前が生まれたのだ」と息子の袁天啓に語りかける袁了凡は69歳を迎えていました。

これが「陰騭録」のあらすじです。運命は決まっているが、それは宿命では無く変えることが出来る。「善きことを思い、善きことをすれば、必ず人生によい結果が生まれる」それが新しい運命の創造。つまり自ら立命することが幸せになる秘訣なのです。