二股ソケット

日付 平成26年12月11日
会長 由見 真治朗

皆さんは、この二股ソケットを実際に使ったことがありますか?私はありませんが、子供の頃に田舎で見掛けたような気がします。これは、以前、解体現場で見つけた物で
「珍しいな~」と思い持ち帰りました。

この二股ソケットは、松下電器産業の創業者である松下幸之助氏の代名詞となっていますが、実は二股ソケットを発明したのは松下電器産業ではありません。松下電器産業の前身である、松下電気器具製作所が大正9年に発売した二灯用クラスターですが、それ以前に石渡電気や東京電気などの配線器具メーカーが先行して販売していた物を改良したのです。

明治37年、9歳の松下少年は大阪の宮田火鉢店、五代自転車店と奉公へ出ることになります。11歳の時に大阪貯金局で給仕の募集があり、父親へ給仕をしながら夜間学校へ通うことを相談しますが、「今まで通りに奉公を続け、やがて実業で身を立てて欲しい。それがお前のために一番の良い道や」と言われ奉公を続けます。後に松下氏は「さすがに父は当を得た考えを持っていた。自分の今日あるを顧みて、しみじみと思う」と述懐しています。

五代自転車店で奉公を続ける松下氏は、使いの途中に見る電車から新時代の到来を予感し、電気事業に関心を持ち始め、大阪電燈(今の関西電力)への入社を考えます。明治43年15歳の時、内線見習工に採用され、入社後わずか3ヵ月で工事担当者に昇格し、更に22歳で工事人の目標である検査員に昇進しました。

20歳の時に井植むめのと結婚し、義弟である井植歳男(三洋電機の創業者)と2人の元同僚でソケットの改良に着手しますが、煉物の製法が分からず、煉物工場の周辺で原料のかけらを拾い集めて研究しました。しかし、やっと出来た改良ソケットもほとんど売れず、同僚は2人とも辞めてしまいますが、ある日、思いがけず扇風機の碍盤1,000枚の注文を受け、出来が良いということで更に2,000枚の注文が入ります。その碍盤で利益が出たこともあり、電気器具の考案製作を本格的にやりたいとの思いから松下電気器具製作所を設立しました。碍盤のほかに作ったアタッチメントプラグは、古電球の口金を利用したものですが、斬新で市価よりも3割ほど安く良く売れました。その2年後の大正9年には二灯用クラスターを発売します。

大正当時、多くの一般家庭は電力会社と一戸一灯契約を結び、家庭内には電気の供給口を一つだけ設置し、電気料金を定額としていました。そのため、電灯を点けている時はアイロンなどの電化製品を使えないことから改良したソケットを販売したのです。先行して販売しているメーカーがあったのに、何故、松下電気器具製作所のソケットは売れたのでしょうか。それは、他社の製品より使いやすく、故障しにくく、価格も3割から5割も安かったからです。他社のソケットはガタガタするが、松下のソケットはカチッと差し込めると評判になり、その後、昭和10年には1号国民ソケットと2号国民ソケット、昭和13年には3号国民ソケットとして発売、帝国発明協会から有功賞を受賞し、当時の主力商品となりました。今でもパナソニックの国民ソケットとして販売しているのですが、その使い方は、こだわりの照明として明るさの違う電球を取り付け柔らかな灯りの下でくつろぐ、あえて明々とした生活より少し薄暗い部屋で気持ちを落ち着ける、仮設の電灯として使用するなどです。

東京ロータリークラブが創立された大正9年に開発された二灯用クラスターは、今年で販売開始から94年、アタッチメントプラグは96年になりますが、“100年売れ続ける電気製品”として、パナソニックの創業100周年となる平成30年にギネス世界記録の申請を目指しているそうです。その年は、大分東ロータリークラブ創立55周年です。創立100周年まであと45年ありますが、100年続く企業や団体、ロングセラー商品の凄さを改めて実感しています。