大分市つかこうへい劇団で経験した事

日付 2014/09/18
卓話者 由見あかり氏(元 大分市つかこうへい劇団座長)

皆さんこんにちは。元大分市つかこうへい劇団の由見あかりです。

先程、劇団時代のビデオをご覧頂きましたが、私が主演しました、「熱海殺人事件売春捜査官」の東京紀伊国屋ホールで公演したものですが、私は大分市つかこうへい劇団の座長として、5年間活動しました。その劇団に入るきっかけというのが、オーディションなんです。当時、私はケーブルテレビ局で働いてまして、月曜日から金曜日までお昼の生放送の情報番組で、月曜日のアシスタントとしてテレビに出演していました。ちょうどその頃、つか先生は大分で「蒲田行進曲完結編銀ちゃんが逝く」という芝居の役者をオーディションで決めるために、各テレビ局でPRをされていました。

そしてケーブルテレビには、たまたま私が担当していた月曜日に来局されましてテレビに出演して下さいました。

その番組出演も無事に終わり、数日経った頃、会社に事務所関係の方から電話があり私が呼ばれました。その場所に行ってみますと、そこには、つか先生と、威圧感のある興業会社の社長がいらっしゃって、つか先生から7月にあるオーディションを受けてくれないかと言われました。

正直、どうしようかな?と思いましたが、オーディションってどんな事をするのかな?という事には少々興味があったので、受ける事にしました。そしてオーディションの当日、会場に行ってみると「演劇を観た事も無い私が来る場所じゃないな。完全に場違いだな」と感じました。

オーディションは、ストレッチ、発声、歌、ダンス、芝居というのを繰り返し行うもので、そのどれをとっても、自信の持てるものは何一つ無いんです。そのオーディションは、5日間ぐらいに亘って行われましたが、1日目が終わるとその場で合格者が発表され、それ以外の人は「お疲れ様でした」と帰されるんです。その日の合格者は次の日も来いと言われ、翌日のオーディションで不合格になる事もありました。

私は仕事の都合で2日目に参加しましたが、その日のオーディションが終わると、私の番号も呼ばれました。でも正直複雑な感情でした。翌日も、翌々日も自分の番号が呼ばれるんです。不安が大きくなりましたが、私は「負けず嫌い」なので、どんな状況でも全力を出さないと気が済まず、「勝ち残りたい!」という気持ちが出てしまうんです。

そして臨んだ最終日!全部で11人が最終的に合格し、これからこの11人で稽古を始めるからと言われ、長く厳しくツラい稽古期間に入りました。ほぼ全員仕事を持っていたので、稽古は仕事が終わって、夜7時~11時まで、土日は朝10時から夜7時までと休みなく毎日行われました。厳しい稽古に耐えきれず、何人かの人達が辞めていきました。そして最終的には3人しか残らずみんな辞めていきました。

残った3人は、私と、当時大宣でコピーライターをしていた戸田禎幸さん、もう一人は長崎県に住んでいた田中竜一くんでした。そこに、東京の北区つかこうへい劇団から吉田智則くんという役者が大分に送り込まれてきました。そして、長崎から通って来ていた田中竜一くんも大分に引っ越してきて4人での稽古が始まり、歴代男性の役者が演じてきていた「熱海殺人事件」の木村伝兵衛部長刑事役を女性に変更し、新バージョン「売春捜査官」が、つか先生によって作り始められました。
そして出来上がった「売春捜査官」はまず稽古場でマスコミの方や劇団関係者そして家族に公開稽古という形で発表し、私の両親も観に来ました。

この「売春捜査官」は内容がとても過激なので、芝居を観た両親の反応が気になりました。母は「良かったよ!カッコよかったよ!」と言ってくれました。父はというと、その直後から1週間ほど口をきいてくれませんでした。でも大分で公演する時は、必ず両親そろって観に来てくれました。そんな両親の応援もあり、全国各地で旅公演も行いました。

さらに劇団は旅公演の集大成として、演劇の聖地といわれる、東京・新宿にある紀伊国屋ホールで3年連続で公演させて頂き、1999年には、当時まだ日本の大衆文化が規制されていた韓国で、戦後初の日本人による日本語での公演も実現出来ました。そして翌年2000年の12月の公演を持って、大分市つかこうへい劇団は解散しました。

その後何年間か、つか先生とお会いする機会が無かったんですが、2004年に私が結婚する時に、是非、師匠であるつか先生に出席して欲しいと手紙を出しました。つか先生は結婚式にはあまり出席しないそうなんです。私の主人は、札幌でスタッフとして携わっていた経験もあり、つか先生のお気に入りのスタッフだったので、お願いすると出席して下さいました。
そして主賓の挨拶で、つか先生が言った言葉が「俺はこの結婚認めてねえ!」でした。私の両親はつか先生の事はよく分かっていたので特に驚く事はなく、いつもの、つか流ブラックジョークだと笑っていましたが、他の出席者は驚いていました。
その後、つか先生とはお会いする機会もなく、2010年7月10日に肺がんで亡くなりました。

でも私は、「つかこうへいは死なないでしょ」またいつものブラックジョークなんじゃないかと思い、いまだに亡くなったことが信じられません。私にとって、つか先生との出会いと、その存在はあまりにも大きく、劇団時代に経験させて頂いた貴重な思い出と共に、私の心の中にずっと大切に持ち続けていきたいと思います。

本日は、私のつたない話を最後までお聞き頂き、ありがとうございました。