モアイ修復プロジェクト

日付 平成26年12月4日
会長 由見 真治朗

「モアイ修復プロジェクト」 ・RYLAセミナー開催並びに動員願いのご案内高松市に本社を置く建設用クレーンを製造、販売する(株)タダノは、平成25年度の売上高1,373億円、従業員数1,335名の東証一部上場企業です。創業者の多田野益雄氏は、「ものづくりで世の役に立ちたい」と考え1919年に独立しますが、高松大空襲で全てを失います。終戦の翌年、2人の息子と鋳鉄製の製瓦機と菜種油の搾油プレスを自作し、戦後の復興と共に成長、1948年に(株)多田野鉄工所を設立します。間口4間、奥行8間の小規模な工場でしたが、国鉄保線作業の枕木を補正する機械を納入し、総裁最優秀賞を受賞したことから国鉄の全線で使用されます。その後も顧客の要求に応える機械を製造しましたが、1955年にアメリカの雑誌に紹介されていたクレーンに着目し、試行錯誤の結果、国内初の油圧式トラッククレーンを完成させ、国内最大の550t吊りオールテレーンクレーンを発売するなど世界を代表するクレーンメーカーに成長しました。

戦後の焼け野原から1,800億円を超える企業へと発展させた、長男の多田野弘名誉顧問は現在94歳でまだまだ現役ですが、その健康法について次のように答えています。

「私の朝は4時半に始まります。2キロ半のウォーキングでひと汗かくと、プールで24m泳いで会社に出ます。プールの水は冬になると肌を刺すように冷たくなり、雪が降るのを眺めながら泳ぐ日もあります。正月には海で泳ぐのが恒例ですが、風邪をひいたことは一度もありません。泳ぎ終えた後の爽快感はこの上もなく、また冷たさに克つことで大きな自信と喜びを得られるため、この40年一日も欠かさず続けてまいりました」

冬でも毎日欠かさず続けている水泳ですが、その冷水の効用を教えてくれたのは、地元香川県の当時の金子正則知事です。1950年から6期24年間知事を務めましたが、1969年の第一次讃岐うどんブームの火付け役としてPR活動を行い、香川県の特産品として全国へ広めた方です。金子氏とは宿泊施設の浴場でよく一緒になったそうですが、いつも冷たい水を張った一人用の浴槽に浸かっている姿を見て、その理由を尋ねたそうです。「多田野くん、知事というのは仕事の9割は嫌な話を聞くことなんだよ。冷たい水も苦にせず入れる自分になれば、嫌な話もニコニコと快く聞いてあげられるようになるのだ」と答えました。その話を聞いた多田野氏は、一念発起して冷水で泳ぎ始めたそうですが、「苦難こそ成長の糧」として会社を発展させ、クレーン業界を牽引しているのです。

そのタダノが過去に取り組んだメセナに「モアイ修復プロジェクト」があります。1988年11月「世界ふしぎ発見!」の番組中に当時のイースター島知事より“日本の皆さんへ”と題し、「モアイをもう一度立たせたい。そのためにクレーンが1台あれば…」というテロップが流れ、それをタダノの社員が見ていたことからプロジェクトが立ち上がりました。当初はイースター島のあるチリの住民や考古学者から反対されましたが、タダノの熱心で親身な活動に支援の輪が広がり、プロジェクトの総額1億8千万円を全額負担し、クレーンの寄贈、発掘調査、修復作業に協力しました。

イースター島のモアイは世界文化遺産であるため、ユネスコなど国際機関への十分な配慮が必要として考古学者による緻密な事前調査を行いました。イースター島には約1,000あるモアイのうち、立っているのは20数体のみですが、このプロジェクトでは15体が修復されました。

モアイを吊るため、最大吊り上げ能力50トンの海外仕様クレーン車輛を定期貨物船でチリ本土まで運び、チリ海軍協力のもと上陸用舟艇で陸揚げしました。モアイはもろい凝灰岩でできているため、吊り上げ時に傷つけない治具が必要ですが、治具開発のため、同質の凝灰岩で寸分違わぬ重さ11tあるモアイの摸刻をつくり、吊りテストを実施、成功したことで実際の作業に取り掛かりました。タダノの役割はコーディネートとスポンサーであり、クレーンの操作やメンテナンスなど修復作業を技術移譲し、モアイ修復プロジェクトは完了しました。その後も、2007年には高松塚古墳の石室解体の治具開発や技術支援に携わり16個の石を無事に解体し、2008年にはアンコール遺跡群の修復作業支援のためにタダノの製品を寄贈しています。

「利益を目的にすれば企業が繁栄するはずはない」として、企業経営の目的を社会貢献とするタダノの考え方ですが、これらの取り組みは自社の優れた人材や技術を活かした職業奉仕として素晴らしい活動だと思います。